ビジョンなき事業ではその時代の才能が集うことはないのかもしれないという話
すぐに結果が出そうな、簡単な事業を考える。
悪いことではないと思います。
でも気がついたことがあります。
難易度が明らかに高そうで、やる意義が圧倒的あるような事業。
こういう事業こそ、その時代の才能ある人たちを集めるのではないか?
ということ。
一見難易度が低くて、結果が見積もりやすい事業は、目の前のことだけ考えたら、費用対効果も高いように思います。
しかし、人財が、才能が集まるという意味では、マイナスに働くことがあると思います。
優秀な人というのは、これは無理じゃないか?ということに対して、情熱を抱くケースが多いのではないでしょうか?僕はそう思っています。誰がやってもできる見込みのある問題を解くことに意義を感じられない人が多いように思います。
逆に、これ解くのって本当にできるの?無理じゃない?と思わせるくらいのもの、目指すところがあったほうが燃えるのではないでしょうか?
できることだけやっていても、燃えない、面白くない。という感覚です。
となると、できそうにないけど、やる意義があるもの。そういうことに対して、チャレンジし続けていくこと、これこそが、その時代の才能が集まるポイントのような気がします。
そう考えると、自分が一見やっているように見えていることも、何一つ自分が決めているわけではない。
その時代の要請、機運、そして、その他の人を惹きつけるものになっているか?が物事を決めていて、自分個人の意見や意思など、本当にちっぽけなものであることに気がつきます。
何一つ自分で決めているようで、実は決めてなんかいない。
自分一人の思うがままになっていることなんて、なに一つこの世の中にはないと、個人的には思っています。これが僕の考えです。
決めているのは、世の中であり、その世界が決めているのだと。
僕は一人ではなに一つできないので、それをしっかりと知っておくことが大切だと思います。自戒を込めて。